子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」と親の関わり
春分の日、学習院女子大で開かれていたダヴィンチマスターズに行ってきました。
そこで、学習院女子大の教授が行う親向け講演会
「低学年の子どもの行動特性と関わり方」(っていうようなタイトルだったと思う)があったのですが
そこで、センスオブワンダーを例にあげてとても良いことを言っていたので備忘録として記しておく。
- 作者: レイチェル・L.カーソン,Rachel L. Carson,上遠恵子
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1996/07/01
- メディア: 単行本
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子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
子どもたちのセンスオブワンダーを失わないためには
ただ自然を、環境を与えるだけではダメだということ。
親がそばにいて再発見し、感動を分かち合う必要があるということ。
その「再発見」をどう捉えるか。
えぇぇまじかー><と負担に思うか、
やったー!とポジティブに受け止めるか。
私はストレートにポジティブでした。
愛するわが子と人生二回目、もしくは初めての発見を一緒に楽しみ分かち合えるなんて。
こういう喜びを子どもが運んできてくれたんだなぁとしみじみ出産シーンまで懐古してしまいそうになりました。
センスオブワンダーには以下の件も。
多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたび、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」と驚きの声をあげるのですわたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもの教育をすべきか頭を悩ませている親にとっても「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土地を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象について、もっと知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。
たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏(たそがれ)の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。
子どもといっしょに風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと。そうした音に耳をかたむけているうちに、あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。
雨の日は外にでて、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿をかえていくひとしずくの水の長い旅路に思いをめぐらせることもできるでしょう。
あなたが都会でくらしているとしても、公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥の渡りを見て、季節の移ろいを感じることもできるのです。
さらに、台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種子さえも、芽をだし成長していく植物の神秘について、子どもといっしょにじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。
と、がっつり引用。
最後の一文がじんわり効いてくる。
最近、3歳の次男のお手伝いブームがやってきて台所に一緒に立ってくれるんです。
ほぼ足手まといですが、とてもかわいらしく、母として嬉しい時間です。
こうして一緒に台所にたって、たまねぎの皮をむく一瞬一瞬だって
センスオブワンダーを育てる、とても尊い時間に思えてきました。
また講演では「原風景を思い出してください」という話がありました。
目を閉じて浮かぶのは
学校近くの川でアメンボをたくさんたくさん捕まえてバケツにいれまくったこと。
学校帰りのドブにいたカエルのたまご
田んぼのなかを通って鬼ごっこしたこと
近所のお寺の壁をよじ登って遊んだこと
どれも自然のなかで野生の生き物と戯れて遊んだ事とそのときの空の色がセットになって
よみがえってくる。
翻って、わが子はどうだろう。
東京ではタニシもアメンボもタガメも、実物に触れる機会はそうそうなく、
結果、わが子は昆虫好きなのに、もっぱら図鑑で昆虫とふれあうという悲しい感じに。
親もいけないんです。
男の子だしそのうち自分で蝉でもカブトムシでも捕まえてくるだろう、父親がなんとかせいやと思ってたところあるくらいなので。
でもでも、今回センスオブワンダーの大切な件
生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
これを胸に、少しでも子ども時代にだけ授かったセンスオブワンダーに
もっともっと水を注いであげられるよう
一緒に共感して、再発見を楽しみ、喜びを分かち合う、
この春からは、そんなことを意識して過ごしてみようと思います