GIFT

与えられたGIFTに感謝し、子供たちにどれだけのGIFTを残せるか

来た時よりも美しく PartⅡ

部署異動で現在のチームに来た時に、このブログに書いていた座右の銘

 

私、なんかできた???

シムシティとかが好きな私からすると
道路が縦横無尽、計画的な都市計画がなされていない感じがヤキモキする。
いったん整地にして、道路を引き直したいくらいの雑多感がある。

 

また、こんな記述も。

外部でも仕事できるくらいプロフェッショナルになっていたい。

また、プロフェッショナルだけど、会社全体を見れるくらいの視野の広さと経営に対する知識と理解、専門性の深さをもっていないといけない。

すばらしい!パーフェクトな考え。方向性!

あとは実現手段を考えるのみ!!

なのに、そこから1っ歩も進んでないし、それどころか書いたことすら忘れてる!

 

プロフェッショナルになるには?

もそうだけど、そもそも何のプロフェッショナルになりたいんだっけ?

 

禅問答は続く…

3年寝太郎

3年ぶりの投稿です。よくもここまで放置して、再開しようと思ったなと我ながら情けないやら、はてなへの愛着を再認識するやら。複雑な感情ですが、あらためて何かをスタートしたい気持ちがムクムクと湧き上がってきた2021年の春です。

 

この4月で、長男10歳、次男小学校入学、長女年少へと

わりと節目が重なるので、私自身も次のステージを見据えて

中長期スパンでの取り組みを始めたいと思っています。

 

さて、では何をするか。

目的意識のない人間なので、ここでいつもつまづき、

無難な英語を始める…ということの連続なのですが、やはりそうなりそうです。

 

無難とはいえ、英語学習はやっていて楽しいんですね。

前に進んでいる感じがあるから。

ほぼゼロスタートで、1日単語ひとつでも昨日よりもひとつ前進できる。

この感覚が自分のエネルギーになるんだろうな。

 

問題は、それをいかに継続させられるか。

だいたい3日、1週間で限界がきますので。

今回は、この小さな壁を乗り越える手段を備えて、

戦略的に英語を攻略していきたい。

 

また、致命的なのが英語を使って何をやりたいか、という目的。

これがないのですよね。

だって、英語学習が楽しいだけでやってるのでね。

 

では、英語学習はITパスポートや簿記の勉強となにがちがっていたのか。

(これらもトライしましたが、面白くなくて挫折した)

私なりの仮説は「英語はコミュニケーションの手段だから面白く感じている」ということ。

※私のストレングスファインダーの上位5資質のうち、5番目が「コミュニケーション」。

であれば、英語を使って誰とどんなコミュニケーションが取れると

もっと面白く感じ、刺激を受け、アドレナリンが出続けるのだろうか。

 

そんなことを考えながら

継続して英語学習を行い、使える技能にまで持っていきたいと思います。

 

 

[座右の銘]来たときよりも美しく

遠足でよく言われていたこのせりふ。

 

ひとに言われると「やっとるわ」「わかっとるわ」とイラっとするものだけど

40という年にもなると、いい言葉やなぁとしみじみ思うものである。

 

9月末で所属部署から離れる。

「来たときより美しく」私がいたことでなにかを残せたか

「爪痕を残す」というチャレンジングな言い回しも、実は私が用いている意味合い的には近いものがあるのだが、「来たときよりも美しく」は、自分本位ではなく、その環境やその環境にいるひと本位であって、「爪痕を残す」はより自分を前面に押し出している、出世欲や自己顕示欲が強く現れた表現。なので、座右の銘として使うには、「来たときよりも美しく」が美しいし、自分の心理面にも自然と周囲を見る配慮や視野の広さをもたらしてくれそうで、この言葉が私は好きだなと思う。

 

そして、この部署に残せたものは特にないなぁとネガティブではなく、客観的に見てそう思う。

(10年間のうち、一番活躍していたときはもちろん功績としてあったと思うが)

 

 

来月から行く部署にはこの「来たときよりも美しく」の精神を忘れず

3年後、5年後、10年後、の自分とその環境(自分が指す環境の範囲を広げて行くのが理想)に目を向けていきたいと思う。

 

そう思う40代のはじまり。(とはいえ、気づけば「40歳2ヶ月17日目」が経過していた)

[座右の銘]自分の物語を生きる

若手社員のモチベーションをどうあげていくのかに悩んでいる中間管理職へのアドバイスとしての記事を読んだ。出処控えておくのを忘れたので覚書。

 

モチベーションをつくるの、会社のビジョンに共感するところから入るのは難しい。

 やっぱり自分ごと。

でも、「自分のため」だと、For me になってしまう。要は「自分本位」ってことだと思う。自分にどうメリットあるの?って視野が狭くなってしまう。それが「自分の物語のため」とすると、自分の周りの人、同僚、先輩、後輩、お客さん、家族、パートナー、地域、社会、日本、世界、環境・・・・・・と、For me ではなく For You になる。周囲を見て、世界が広がる。ストーリーを描くなかで、理想の暮らし、働き方が具体的に描けて、なんのために自分が何をどうがんばるべきか、方向性が描けてくる。

物語にすることで、一気にその人のビジョンに昇華する。

 

この考え方はすーっと自分に腹落ちした。(モチベーションのあがらない20代若手社員を相手にした対談なのに、40歳の私ってば本当子供だわ。悲しいーとは思ったのだが)

 

座右の銘にしたいくらいだ。そう思った。

私は「自分の物語」をどう生きたいのか

自分本位ではなく、自分を取り巻く世界がどうあったら素敵な明るい未来になるのか。

辛いときも苦しいときも、いいときも悪いときもある。

そう思えば、いまはどん底。あがるだけって思えるじゃないか。

自分の物語の脚本家になろう。

そんな決意に燃える、40代はじまりの日。

 

===

というわけで、現実的に考えた見た。(2018年9月末時点での考えとしてつらつら書いておく)

まずは仕事、働き方

「somewhere」を探して逃げる。結果が出せる分野に逃げる。その嗅覚

ZOZOの前澤さんや田端さんのように、好きなこと得意なことを仕事にして高給で働く。日々の暮らしも潤う。それがやっぱり最高だと思う。

cybozushiki.cybozu.co.jp

このレベルじゃなくとも、自分の好きなこと得意なことを特定分野に特化して、まずは結果をだす・・・って考えるのがこれまでの自分だった。

これじゃアカンのだと思う。

まずは「結果を出せる分野」にこだわり飛び込む。その嗅覚が自分には抜けていたと思う。(というのも、10年間同じ部署で会社の最前線部隊にいた。当然そこは精鋭たちが集う部署。優秀で時間があるだけ仕事に使える若手ぞろいの中で時短の平凡社員が戦えるわけがない。戦場を間違えていた。ただ部隊を変える勇気がなくてズルズル負傷を重ねてここまできてしまった)

そうそう、「きんぎょがにげた」の五味太郎さんもこんなことを言っていた。

「自分の場所が気に入らない、よくない、ピンチだ、つまらないというときに場所を変える努力が、逃げるということ。『somewhere』を探していくのが、自分の性質なんだろうな。自分が好き。自分が侵されるのが嫌なんだよね。そういうことを、頑張って努力しているやつと気が合う」

ex.yahoo.co.jp

 

40代のスタートは新しい職場から

この10月から希望により部署異動が決定した。

同じ部署にはワーママの時短社員が多いらしい。

サービスの最前線ではなく裏方仕事だ。そういまの自分にできることを身の丈で考えて出した答え。

業務的には自分のスキルがいかせそうなところ。「好きなこと」「得意なこと」「みんなが時間をかけてしてるのに自分は簡単にできちゃうこと」でまい進する。

 

とはいえ、その環境の中で自分の色を出して行くにはどういう方向性がいいのか。

 

すぐいかせそうなもの

・過去の経験[サービスでのものづくり経験。ただしそもそもそこが弱かったから異動したのであってすきでも得意でもないところを武器にしても後々辛いだけ)←ナシ

・過去の経験2(編集制作経験。これはまぁいかせそうだがさび付いているのをどう磨きなおすかが課題)←戦略立てて磨きなおさねばな。まずは何が必要かをマインドマップ的に作ってみようか。たぶん編集の上流工程が肝(編集方針だとかポリシー、ガイドラインだとか)★

 

これから身につけたいもの

・広報全般の一般教養←これは先輩方におすすめの本とか学び方を教えてもらう★

・社内人脈←組織やつながりをインプットする。戦略的に重要なところとそうでもないところの把握とかは、偉い方と話をするときにこういう観点で探りを入れるのがよさそう。あとは性格的に「社交性」を向上させるべきか?★

 

自分の物語を描けているか

ここでまず3年やる。下の子が4歳(年少)、真ん中(小1)、上(小5)

まだ時短だなー(というか、これ以降の人生、一生時短。短時間で高自給がモットー)

短時間で高い生産性を実現するために

外注、機械化、概念変えるようなことにチャレンジして組織をリードするくらいのことはやりたい。

結果、現部署の範囲は「来た時よりも美しく」を実現する。

 

5年後。下の子6歳(年長)、真ん中(小3)、上(中1)

上二人は一緒に勉強・スポーツして切磋琢磨する関係を築いてほしい。

下は、丁寧に勉強(この頃ならひらがな書くとか読み聞かせレベル)みてあげていたい。

仕事は責任あるポストにはつかない。専門性の高さで勝負する。

外部でも仕事できるくらいプロフェッショナルになっていたい。

短時間で高自給をかなえる。

また、プロフェッショナルだけど、会社全体を見れるくらいの視野の広さと経営に対する知識と理解、専門性の深さをもっていないといけない。

 

10年後、下の子(小5)、真ん中(中2)、上(高3)

もう子育てひと段落ってとこか。手はかけないけど目はかけるステイタスでいたい。

上の子は海外で高校生活送っていて欲しい。好きな魚にまつわる趣味に没頭して、スキューバとか魚釣りとかばっかりして、最終的には研究者をめざしている・・・かな?

真ん中はスポーツ。下の子は学業。

仕事は、ポストも経験する。子育て経験をいかして、人材育成を自分のスキルのひとつに組み込むのはありかなしか。(ここは要検討)

 

ひとまずここまで。

夢物語は続く。

 

#座右の銘 #自分の物語を生きる 

 

 

子どもたちの「センス・オブ・ワンダー」と親の関わり

春分の日学習院女子大で開かれていたダヴィンチマスターズに行ってきました。
そこで、学習院女子大の教授が行う親向け講演会
「低学年の子どもの行動特性と関わり方」(っていうようなタイトルだったと思う)があったのですが
そこで、センスオブワンダーを例にあげてとても良いことを言っていたので備忘録として記しておく。

 

 

センス・オブ・ワンダー

センス・オブ・ワンダー

 
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察や、美しいもの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
 もしわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目をみはる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、私たちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

 妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

子どもたちのセンスオブワンダーを失わないためには
ただ自然を、環境を与えるだけではダメだということ。
親がそばにいて再発見し、感動を分かち合う必要があるということ。

その「再発見」をどう捉えるか。
えぇぇまじかー><と負担に思うか、
やったー!とポジティブに受け止めるか。

私はストレートにポジティブでした。
愛するわが子と人生二回目、もしくは初めての発見を一緒に楽しみ分かち合えるなんて。
こういう喜びを子どもが運んできてくれたんだなぁとしみじみ出産シーンまで懐古してしまいそうになりました。

センスオブワンダーには以下の件も。

多くの親は、熱心で繊細な子どもの好奇心にふれるたび、さまざまな生きものたちが住む複雑な自然界について自分がなにも知らないことに気がつき、しばしば、どうしてよいかわからなくなります。そして、「自分の子どもに自然のことを教えるなんて、どうしたらできるというのでしょう。そこにいる鳥の名前すら知らないのに!」と驚きの声をあげるのですわたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもの教育をすべきか頭を悩ませている親にとっても「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。
子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土地を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象について、もっと知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
もし、あなた自身は自然への知識をほんのすこししかもっていないと感じていたとしても親として、たくさんのことを子どもにしてやることができます。
 たとえば、子どもといっしょに空を見あげてみましょう。そこには夜明けや黄昏(たそがれ)の美しさがあり、流れる雲、夜空にまたたく星があります。
 子どもといっしょに風の音をきくこともできます。それが森を吹き渡るごうごうという声であろうと、家のひさしや、アパートの角でヒューヒューという風のコーラスであろうと。そうした音に耳をかたむけているうちに、あなたの心は不思議に解き放たれていくでしょう。
 雨の日は外にでて、雨に顔を打たせながら、海から空、そして地上へと姿をかえていくひとしずくの水の長い旅路に思いをめぐらせることもできるでしょう。
 あなたが都会でくらしているとしても、公園やゴルフ場などで、あの不思議な鳥の渡りを見て、季節の移ろいを感じることもできるのです。
 さらに、台所の窓辺の小さな植木鉢にまかれた一粒の種子さえも、芽をだし成長していく植物の神秘について、子どもといっしょにじっくり考える機会を与えてくれるでしょう。

 

と、がっつり引用。
最後の一文がじんわり効いてくる。
最近、3歳の次男のお手伝いブームがやってきて台所に一緒に立ってくれるんです。
ほぼ足手まといですが、とてもかわいらしく、母として嬉しい時間です。
こうして一緒に台所にたって、たまねぎの皮をむく一瞬一瞬だって
センスオブワンダーを育てる、とても尊い時間に思えてきました。

また講演では「原風景を思い出してください」という話がありました。
目を閉じて浮かぶのは
学校近くの川でアメンボをたくさんたくさん捕まえてバケツにいれまくったこと。
学校帰りのドブにいたカエルのたまご
田んぼのなかを通って鬼ごっこしたこと
近所のお寺の壁をよじ登って遊んだこと

どれも自然のなかで野生の生き物と戯れて遊んだ事とそのときの空の色がセットになって
よみがえってくる。


翻って、わが子はどうだろう。
東京ではタニシもアメンボもタガメも、実物に触れる機会はそうそうなく、
結果、わが子は昆虫好きなのに、もっぱら図鑑で昆虫とふれあうという悲しい感じに。

親もいけないんです。
男の子だしそのうち自分で蝉でもカブトムシでも捕まえてくるだろう、父親がなんとかせいやと思ってたところあるくらいなので。


でもでも、今回センスオブワンダーの大切な件

生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

 

これを胸に、少しでも子ども時代にだけ授かったセンスオブワンダーに
もっともっと水を注いであげられるよう
一緒に共感して、再発見を楽しみ、喜びを分かち合う、
この春からは、そんなことを意識して過ごしてみようと思います

優秀な人ほど早く辞めていく

本日、勤務先の会社で退職者の発表があった。


わが社は10000人くらいの規模か(何人在職しているかもわかっていない)

そのなかで、今月の退職者は20人程度。

でも、期変わりなので部長職の方の名前もあった。


お子さん二人いるのに、いつも笑顔で、でも芯が強そうな女性
部長職をされていて、ある種、働く女性のロールモデルになりそうな方。
次はどこへ行かれるのだろうか。
介護、育児・・・仕事をやめる理由はいくらでもつくれる。
でも実際に辞める決断というのは本当に重い。

本人は相当考え考え抜いた後の結論なのだろうから。

 

まったく接点のなかった一社員である私でも
自分でも驚くほど、ひっそりと、意外なほど大きなショックを受けている。


また、ほかにも知っている人の名前が何人か。
知っているということは、その人たちが優秀だからだ。
優秀で活躍していたからこそ、接点もないのに知っているのだ。

 

そういう優秀な人がごそっと抜けて行く会社。
将来を悲観しそうになる。
そこにしがみつく、何もできない非力な自分が対照的で
さらにこの会社の行く末を見てしまったような気がする。


前月は、同期の友人が
年収1000万オーバーという高待遇で外資に引っこ抜かれて転職していった。

それを聞いた同期の友人が、私もそろそろかな なんて言う。


3人も子を抱えた自分はもうしがみつくしかない。
こんな自分を時短という名のパート仕事で楽して稼がせてくれる。
福利厚生も変わらず受けることができる
時代の流れもあり、在宅勤務制度が整備され、使える環境が整っている。

そこに乗っかってあと10年は稼がせてもらおう
なんて、思っている。
そんな意識の社員がそこここにいる限り、この会社の未来は暗雲に包まれているのではないか。

 

自分が組織の癌だと思いながら
大好きだった仕事にあたるのがどれだけ悔しいことか。

いち早く組織から抜け出し、辞めて行く優秀な社員になりたかった。


そんなことを思う秋晴れの朝である。

スマイルゼミ半年でやめた(長男小2夏休み)

小1の2月からはじめたスマイルゼミですが、
小2の1学期をおえ、夏休みの宿題のできなさっぷりを見て退会を迷いなく即決しました。

ちょうど6ヶ月たっていたので
タブレット代金が8000円ほどで済むタイミングでした。
(が、それ抜きでタブレット代が全額かかっていたとしても迷いなくやめていただろう)

理由は、
・小2で学ぶ時計の概念、24時間表記、時間と時の使い分けがまったく理解できてなかった
 →苦手な単元はミッションになっていても勝手に飛ばしてやっていなかった模様
  得意な単元だけをやっていた
・かといって、計算力などがついてきているわけではない
・漢字はわりとインプットできていたが、書くチカラの低下、字の汚さが著しく目立ってきた
 →ゆえに漢字は正しくても、字が汚すぎて◎を与えられない


このまま続けていても、
「苦手は放置、得意はぼちぼち」では教材として価値ないなと。


タブレットで丸付けを機械化
丸付けで発生する親子の喧嘩回避できると思った私の母としての怠慢の結果でした。

勉強好きでもない、まじめでもない小2男子にとって
やはり「母親が隣にいること」「花丸をつけてえらいね!とほめること」
そういう地道な工程が大事なんだと身を持ってわかった
ちょっと高いけど、母親としての学習費用だったんだという気がしてなりません。

ちょうど石原さとみのドラマ「高値の花」を見てます。
妹が好きな男を母に寝取られるシーンが衝撃的でしたが、その結果
「薬は毒から生まれる」
妹は芸術家として一皮むけることになる。


まぁ、レベルはちがうけど
親としての仕事、責任をタブレット学習に任せた結果、薬を手に入れました。


気を入れなおして、不真面目な息子と向き合い
息子にあった勉強方法を模索していきたいと思います。